自ら考える

僕は今まで、自分がわかる範囲でしか考えてこなかった。考えることができるのは、自分が分かっている範囲だけだというのは、当たり前です。でも、その分かっている範囲というものを、拡大したり、深めたり、という努力はしてこなかった。僕に与えられた、出会った範囲で、その中でしか考えてこなかった。

 

学生時代、僕は、学生運動の真っただ中にいた。マルクス毛沢東レーニンの書物を持ち出し、その素晴らしさをアジる友人が何人もいた。僕もなんとか意見を持とうとして、それらの書物を開いたことがある。しかし、とても、理解できる内容ではない。僕にはとても無理だとあきらめた。労働問題や社会環境問題、国の経済発展の課題などについても同じだ。たかだか20年ぐらいの人生で、そんな大問題を意見できることの方が不思議であった。

 

でも今、僕は、政府のやり方や、周囲の経済状態を見て、自分の意見を持つようになった。昔、そんなことを考えることができなかった自分と、どこが違ってきたのであろうか。それは、生活をしてきたからだと思う。生活の大変さ、友人の大切さ、家族の大事さ、仕事のありがたさ、これらが実感としてわかるようになって、初めて、意見を言えるようになったのだ。

 

僕は、実感をもとに、自分の意見や信念を持つことが大切だと思っている。他人の意見や、権威や、流行を受け入れるにしても、この実感を持つことが先だ。小さくてもいい、実感をもとに、自分の意見を固めていこう。これこそ、世の中を動かす原動力と思う。その意味で、自分の考える土俵を少しでも広げていこうと思っている。