自分の意見と私の意見

自分とは全体の中の自らの分、私とは公に対する私つまり個人。

だから、自分の意見と私の意見とは全く違うもの。

 

前者は共生を基として生まれた意見、後者は対立を基として生まれた意見。

 

今まで、私の意見を持つことが大切と教えられてきた。しかし、私の意見をいう背景とは何なのか、答えららないままで進んできた。これこらは、自分の意見という意識で進もう。

 

 

僕は、私と言う言葉を使いません。私とは、禾(のぎへん)にムという構造です。禾は穀物の穂が垂れ下がっている様子て、ムというのは肘鉄の形です。つまり、この実った穂は俺のものだと主張する意味となってしまいます。ですからこの字の意味するところは、私企業とか私人とか公私とか、公に対しての個人です。

 

実は昔は、日本では、