山本太郎の失速

れいわ新撰組山本太郎が失速している。7月3日に公開された、大西つねき氏の動画に「命の選別」という言葉があると言う事で、れいわ新撰組は大西つねきを除籍をしたのである。山本太郎、大西つねきのその後のメッセージ聞いたが、やはり、大西つねきを除籍したのは山本太郎にとって痛かったと思う。この問題について、僕も7月12日の投稿で、れいわ新撰組らしく正面から議論をして、さすが新しい政党だと知らしめてほしいと願った。しかし、除籍となったのは、最初から除籍ありきであったような感じが残り、十分な議論がされたのかと言う疑問が残ってしまった。どうしてそのようは発言をしたのか、その文脈はどのようなものだったのか、そのうえで「命の選別」とは何を意味しているのかを明らかにしてほしかった。

 

僕は、この流れを見る時、両者には別の方向軸があったと思う。でも、それは決して相反するものではなかったとも思う。しかし、山本太郎にはその新鮮さとそれによる人気に驕りがあったと思う。大西つねきの動画の中に、山本太郎に頼っていないで進むという趣旨の言葉があったと記憶している。山本太郎には自分の進み方に自信があり、それに反するものを良く咀嚼するだけの大きさがなかったようにも思う。

 

残念ながら、今回は山本太郎の失速でだ。その情熱と今の政治家にない正義感を持って、体制を立て直し、再度流れを作ってほしい。一方、大西つねきは、れいわというバックを失ったが、持論を地道に展開し、広く社会に広めていってほしい。一回りも大きくなって、両者がまた結合できればそれに越したことはないが、別々であってもいいから、日本を変える流れを作ってほしいと願うものである。