「命の選別」の議論

れいわ新撰組の大西氏は、3日公開された動画投稿サイトで、「どこまで高齢者を長生きさせるのか。命を選別しないと駄目だと思う」との発言した。これは大きな問題となり、7日に謝罪をしたが、れいわ新撰組としては「除籍」という処分になる方向で話し合いが持たれるという。

 

れいわ新撰組創設前から大西つねき氏を知り、応援していた僕としては、この発言があった事に驚きを覚えた。自由と生命の発露を基に、新しい経済構造を説く大西つねき氏の言葉には、新しい時代の希望を感じていたのだ。それが一転、その基本をひっくり返すような発言をしたのだから。

 

何かがあったのだろうか? それとも元々そのような思考が潜んでいたのであろうか。単なる失言で、字面とは違う趣旨があったのだろうか。動画が削除されているので、その言葉がどの様に語られたか確認のしようがない。

 

僕も気が付かないで、違う言葉をはいていることがある。右と言うべきを左と言ってしまって、指摘されて気がつくこともある。間違いがあったら、それで終わりというのでは、社会生活は出来ない。一方で、政治の世界は影響が大きい。反対勢力から攻撃を受ける。早く幕引きを計りたい思惑も走る。

 

僕は、従来のような尻尾切りで終わることではなく。正面からこの問題に向き合い、国民の中にも潜む「差別」「選別」の意識について議論をし、あたふたとせず、さすが新しい時代の政党だと言われるような進め方を望む。

 

今を騒がす河井議員の問題だって、正面から向かってないではないですか。それは「政治」だから闇があって当然という既存の政党に、真に鋭く刺さるような、議論を示して欲しいと思う。