アメリカの印象

僕がアメリカへ行ったのは20代最後の時でした。英語の勉強と社会勉強のために3ヶ月くらい行ったのです。一人旅で、仕事ではなかったので、リックを背負い、腹にはパスポートの袋を巻き、習い始めた尺八を手にし、今では考えられない様子です。学生時代の友人がアメリカにいましたので、それを頼りに、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、それにオハイオ州を回ってきました。

 

令和2年の今から40年も前です。その時のアメリカの印象はとても新鮮でした。一番の思い出は、農場でトラクターに乗せてもらった事です。まず、運転席は3階ぐらいの高さです。車体はもちろん想像以上大きく、それで進むと家ごと動いている感じでした。そして見渡す限りのとうもろこし畑。アメリカのパワーと大きさがそこにありました。もちろん、一日中グレイハントに乗ってもとうもろこし畑が続くことにもびっくりでした。そのグレイハントも大きい。運転手は黒人、女性も多く見かけました。

 

このパワーがあったからこそ、この広大な大陸を100年や200年で開拓したのでしょう。おそらく、明治の初めアメリカに渡った日本の使節団は、もっと強烈に打ちのめされたのでしょう。この大きさとパワーは日本人の感覚には無いものです。

 

もう一つ印象的だったのは、“あっけらかん”とした感覚です。こだわりがないというか、気にしない、もっと言えば雑なのです。とにかく車が汚い。バンパーを引きずりながら走っている車も見かけました。人目なんか気にしていない。動きゃいいんだ、ってなものです。若い女性はショートパンツで股を広げて座ってる。僕は目のやり場にドギマギしたものです。

 

いろんな文化・人種が混ざっていて、細かい事を言っていられないのです。好きにやらしとく、他の人を気にしたらやっていけない、と言った雰囲気を感じました。日本人の感覚からすると、大雑把で雑なのです。レストランでの食器の扱い、お店でのものの扱い、これら物に対する扱い方の雑さもその時の僕には印象的でした。ただそれは、こだわりのない、解放された、自由気ままな感覚として、僕には新鮮で嬉しさもありました。

 

ただ、この事を今じっと考えてみると、物だけでなく、人に対する扱い方も同じく大雑把なのです。商品のマニュアルにしても、細かい配慮がなく、結果としてユーザーは雑に扱われたことになります。日本人の感覚なら、相手の立場に立って、これでもかというくらい丁寧に説明してしまう。

 

巨大なパワーと、大雑把な感覚、これが僕のアメリカの印象です。