西欧と日本の「我」

西欧と日本では「我」の考え方が違います。日本人の感覚には、仏教で言う無の思想・無我の境地というものがあります。「滅私奉公」はそのような心境の上に成り立つ言葉であります。自分は無き者にして、他のために尽くすという感覚は、古来日本人の心の風土でもありました。特攻隊そのものを是認はしませんが、特攻隊の青年の心もこの風土の上にありました。

 

この感覚は西欧にはなく、従ってそれはとても恐ろしいものでありました。ですから、戦後GHQはその精神を無くそうとあらゆる手を使ったのです。3S政策、Sports、Screen、Sexによって日本人の精神を骨抜きにしようとしたのです。つまり、西欧にとって、日本のこの「滅私奉公」の精神は異質であり得体が知れずオソロシかったのです。

 

一方、西欧の我とは、デカルトの「我思う故に我あり」とあります様に、日本の我とは全く違います。デカルトは、疑わしいものを全て排除したら、疑っている自分があった、これこそ疑うことないものだったわけです。でもこの根底には、我は「存在する」という前提があります。ここが日本人の感覚とは違うのです。

 

僕も日本人として、デカルトの「我」は馴染めません。「我」を突き詰めれば、宇宙の果てに行きついて、何も無くなってしまう、という感覚に賛同します。「疑っている我」を認識するなら、その我がどこに存在するのでしょうか。西欧と日本、何か出発点において違うものを感じるのです。

 

しかし、日本に武士道があったように、西欧にも騎士道と呼ばれる生き方がありました。人として生き方を磨いていく先に、何か共通の境地があるように思えるのです。

 

実は「敵国」アメリカ将校に、この異質な日本精神をよく理解した人もいることを知っています。激戦地硫黄島で栗林中将と戦ったアメリカ第五艦隊司令官、レイモンド・スプルーアンスもそのひとりです。戦後彼は各地を講演し、『君たちが想像もつかない立派な青年がいる』と硫黄島で自決した日本軍を称賛したのです。東郷平八郎の威厳に敬服したミニッツ提督も、東郷が日露戦争で指揮をとった旗艦三笠が荒れ果てたことに憤慨し、修復させました。かれらは、日本の精神を理解したのです。

 

逆に、札幌農学校で「青年よ大志を抱け」と日本青年にエールを送ったクラーク博士に感化され、その精神に敬服しキリストの洗礼を受けた内村鑑三新渡戸稲造などがいました。さらに、その新渡戸稲造は「武士道」を英文で表し、その精神を全世界に広め、その精神に感服したアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の斡旋で日露戦争終結ポーツマス条約が結ばれたのです。

 

こう見ていくと、日本と西欧の精神が触れ合うものを持っていると思うのです。真剣に生きていく過程で東洋と西洋の「我」が手を結ぶ、そういう瞬間があるのです。それを大事にしていかなくてはならないと思うのです。