政治がわかりにくい

世の中はより複雑により変化が激しくなっています。何か真実なのかだれを信じていいのか迷ってしまいます。ニュースを見てもその裏に誰かがいてその意図によってフェイクニュースとなっている可能性もあるのです。またインターネットの世界は情報がありすぎて何をもって選択したらいいのかわからないのです。

 

今のところ僕は「人物」でその区分をしています。この人は真実を伝えようとしているか、情報源は信頼できるものか、いくつかのYouTube動画を見ながら、自らの頭で判断するしかないと思います。たとえその人の主張が自分の意見とは違っても、信頼できる情報源と真実を伝えようとする気持ちが大切です。

 

真実を伝えるということより、自分を売り込み世間に広く名前を知らしめることが目的で露出しようとする人も多いです。露出度の多い人にわざと議論を吹きかけ注目をひこうとしたり、コラボして中身より話題性で自分を売り込んだり、いろいろあります。確かに世の中に出ていくにはそれも多少必要なことかもしれないが、それがあまりに露骨に感じると嫌になります。でも一方、癖もなく自然体で世の中に露出していくということはむずかしいのですね。

 

そんな中、れいわ新選組山本太郎の出現は目を見張りました。これほどまでに真実を伝えようとしている人はなかったと思います。街頭演説、街頭記者会見で聴衆から生の声を拾い上げることはまさに真実です。これほどまでに「生の声」にこだわっている山本太郎の出現により、今までの論壇の何人かは僕の選択から消えていきました。その人たちは自分が太刀打ちできないことを知っているので、過去の失敗をもとに山本太郎を責めているのです。

 

一方で山本太郎の出現後も僕の選択から消えない論客もいます。その人たちは自分に自信を持っています。自分の都合で意見を言うのではなく、真実に基づいて意見を言っているからです。いやそのように僕には見えている、といったほうが正確かもしれません。

 

それにしても、世の中はより複雑により変化が激しくなっていますね。その中で僕は山本太郎のように真実を伝えんとする論客の声を頼りに、世界の動きを知ろうと目を見開いています。