今日は警備の仕事明けから、レストランの仕事に向かい、帰るのが少し遅くなりました。
そして、ブログに何を書こうかずっと思い浮かばびませんでした。でも、ラインで、今日は少し遅くなるからおかずだけあればいいよ、と送ったら、妻から「待ってる!」と返ってきました。この時、今までになく、感動が湧き上がってきたのです。新婚時代をとっくに忘れている僕だけど、妻が待っている有り難さを感じたのです。
待っている心がある。これはなんて豊かなことでしょう。でも、このような心が今の日本や社会から消えていっていることも感じています。それは、このような心は、経済的暮らしの見通しが前提だからです。僕だって、いつそのような事態になってもおかしくないのです。
妻が待つ有り難さを感じる一方、政治と政治家の貧困さに憤りを感じます。
以下は、ヤマトタケルの死を悲しみ后達が飛び去る魂を追う歌である。若い二人ではなく、老いた夫婦の愛の歌が、古事記と言う最古の書にある事を誇りに思います。
浜つ千鳥 浜よは行かず 磯伝う
浜辺の千鳥よ
砂浜づたいに飛んでゆくなら追えもしようが
岩だらけの磯から磯へと伝ってゆくあとを、
どうして私たちが追えようか