魂がやりたかったこと

魂は何も持っていなかった。

何もできなかった。

 

でもこの世に生まれ落ちた時、

手足や眼や耳、そして心を与えられ、

動くこと感じること考えることができるようになった。

 

魂は、慈しみ、労り、優しい自分であることを

学びに来たのです。

 

縁した妻や夫を愛し

子供を慈しみ

親を労り

そうしたかったのです。

 

仮にそういう縁を持たなかったとしても

草花や動物たちを可愛がったり

絵を画いたり歌ったり

そうして優しい自分を味わいたかったのです。

だって、魂には肉体も心もないのですから。

 

人が必死に生きるのは、

そういう魂のエネルギーがそうさせるのです。

 

でも身体や心は

その魂の求めを手助けする本来の役割を忘れ

他と比較し争い、

挙句の果ては自分を傷つけているのです。

魂を慈しみ大事にし

魂の声にならない声を聞かなくてはならないのに

 

この世に生まれ落ちた魂を大事にして下さい。

それができるのは、魂を宿すあなた

身体や心です。

あなたが大事にしなくて誰ができるのでしょう。

 

そうしたら、魂の本来のエネルギーが

優しさや愛や心地よさに

導いてくれるのです。

 

魂がやりたいことはこれなのです。

 

僕の身体は宇宙船

深夜、気がつくと、全身に血液が勢いよく流れていた。ももとふくらはぎが熱い。耳を枕に当てると、ドク、ドク、ドクと流れる音がする。

深めの傷をした左手の中指の先が、少し痛い。昨夜、布団に入った時は、心臓は静かだった。でも今、力を込めて血液を送り出している。

ああ、僕の身体が戦っている。人知れず、真夜中に、血液を全身に巡らしている。あの傷口を治しているのだ。もしかしたら、邪悪な侵入者と戦っているのかも知れない。

指はまだ少し熱を持っている。でも以前よりずっと楽になった。

僕の身体は、虚空に浮かぶ宇宙船。誰が司令するともなく、確実に動いている。僕はじっとその音を聞いていた。

人生DIY

僕の趣味はDIY

でも、陶芸とか、木工とか、そういうターゲットはありません。棚を作ったり、カバンを直したり、靴を修理したり、掃除道具を工夫したり、外灯をつけたりといった、家庭内修繕係DIYです。


その心は、不便でも我慢して過ごすのではなく、また、ダメになったから新品に替えるとかでもなく、工夫して生活するということです。メーカーや商売人から与えられたものではなく、工夫をするのです。

...そうだ!

人生にもDIYがあってもいいのでは?

お婆ちゃんの繕い

今日は天気がいいので、ウォーキングをしよう。と思ってシューズを出したら、踵の部分がほつれていました。履けないことは無いけど、どう見てもみすぼらしい。

僕は1時間位かけて修理しました。どうにかこうにか見栄えは悪いけど、ほつれた部分は隠れてきれいになりました。

 

ふと思い出した。昔お婆ちゃんに靴下や下着を繕ってもらったことを。その頃はその繕いは見栄えが悪くて、これでもいいや、ぐらいに思っていました。

でも素人作業の靴に、ダメになったら買い換える、いまの世の中には無い安堵感を覚えました。

 

目標は高田純次

僕は71歳。

今は妻と二人暮らし、警備員。

仕事柄、いろんな人と出会う。

 

目標は高田純次

とぼけて、適当。

でもなんとなく、しめるところは心得ている。

そして決して人を威圧しないあたたかさ。

 

これが僕の目標です。

一流ではなく多流

一流を目指す事は素晴らしいことだ。それに向かって切磋琢磨し、競いあい向上していく事は良いことです。

でも、それだけが唯一の道では無いのです。自らの楽しみと向上とを自覚し、その生き様を分かち合うことが、これから求められることだと思います。

欲望の果て

欲望がすぐ満たされること、これを幸せと言うべきであろうか。いや違う。


今の社会は、西洋の文明の延長上にあり、欲望は満たされるべきものとあう前提があるように感じる。それを原則として、今の文明は推し進められている。


しかし、仏教では、煩悩と言われる欲望は排除すべきものなのである。欲望を断つ事が人間の進むべき道なのである。


人間社会は便利になった。望めば、食べ物も衣服も旅もセックスだっていつでも手に入る、金さえあればだ。季節感も無くなってきた、辛抱や努力も日常生活から遠のいていく。


でも、これが、本来、人間として進むべき道なのだろうか。辛抱し耐える事で、心や考えが熟成され人は向上していけると思う。何でもかんでも簡単に手に入ってしまったら、しかも金を使って!。きっと人間は堕落し破滅していく。


節度ある、人間本来の道を取り戻すための揺り戻しが、天から申しつけられている気がする。