空腹を楽しむ

現代は物がありすぎる。生命の歴史上こんな事はあり得なかった。冷蔵庫を開ければ、飲み物から食材までいつでも手に入れられる。コンビニへ行けば夜中だって空腹は満たせる。僕たちは、ちょっとでもお腹が減ったら、我慢する事なく腹を満たせる。そして有り余った脂肪を取る為に一所懸命ウォーキングに精を出す。

 

僕たちは、空腹を知る機会を失った。昔、僕が子供の頃、お腹が減って夕ご飯が待ちきれず、ご飯茶碗を叩いて母に叱られたものだった。ご飯が並べられるまでじっと我慢だった。

 

 最近僕は、この空腹を忘れた生活に、身体が無意識の反抗をしていると感じている。腹の気分がよくないのだ。もっと空っぽにしてくれと体が言っている。体を軽くして、気持ちも爽やかにしてくれと言っている。あの、秋空のどこまでも広がった青空のそう快感を身体が求めている。

 

僕は間食を極力やめた。腹が減るとつい摘まんでしまうお菓子を拒否するようにした。そして、その時はつらい思いがするけど、1時間もするとそれがかえってそう快感になることも知った。でも、目の前にいくらでも食べ物があるという事は、なかなか難しく辛いのも確かである。おなかが減ったと思った瞬間に、空腹を楽しむという実感を持てるようにしたいと今は努力している。

 

しかし、このことは、食事に限ったことではない。Amazonのショップを見れば、なんだってある。忘れていたけど欲しいと思っていたものを見つけてしまう。金があれば、つい注文をしてしまう。消化しきれない食べ物と同じで、処理しきれない物が溜まっていく。

 

ふと、物が足りないことを楽しむことも必要ではないかと思った。食べ過ぎて爽快感を失うと同じで、物があふれてもどこかに歪みができる気がする。

 

いやこれは、物だけではない、知識や人も同じではないだろうか。むさぼり続けるのではなく、「無い」ことの爽快感を思い出すことを自分に課していきたいと思う。