分かるという事

以前この日記で、分かるとは何かという記事を書きました。このテーマの第二段となる記事となります。

 

昨日、東京裁判の事を書きましたが、その時の僕は今までになくこの問題が「分かった」と感じたのです。そして、この事がずっと心に引っかかっていました。YouTubeの動画を見てこの問題の重要性が分かったのですが、その原因は、動画が良かったのかのでしょうか、それとも自分自身に何か変化があったからかなのでしょうか。気がついたら、この事を考え続けている自分を見つけました。

 

結論で言うと、その要因は両方であると言えます。確かに東京裁判に関する知識は増えていたけど、その知識が「腑に落ちていなかった」のです。その知識をYouTube の動画が結びつけて、腑におとしてくれたのです。

 

改めて日本語は深いと思う。頭に蓄えてきた事・知識を、腑ーつまり腹に入れる事が「分かる」事なのです。頭だけでは納得出来ない、腹に収まって初めて納得するのです。考えると言うのは、頭だけでやっているのではないと言う事です。

 

そして、「腑に落ちる」ためには、そのきっかけを作る刺激が必要です。その刺激を今回はマストゥーラさんのYouTubeがはたしたのです。そして、この様に効果のある刺激は、「腑に落ちた」人からのメッセージだある必要があるのです。

 

何かを「分かる」為には、人は知識を蓄える努力が必要です。その上で、腹から出た刺激をうけることによって、分かるーつまり腑に落ちるのです。

 

今回は、東京裁判に関する僕の知識と、腹から出たメッセージによって、東京裁判が分かったという事です。具体的には、東京裁判では、平和条項とか人道条項などがこの裁判の為に作成された事、裁くには最初から法が定められていなくてはいけない事、などの予備知識があったので、これらの知識がマストゥーラさんのメッセージで一気に結びつき、腑に落とす事ができたのです。

 

自分を向上させる為には、知識を増やす努力と、アンテナを張って、腹からの言葉を逃さない事であると知りました。