責任を放棄した政治

今の日本は責任を取らない政治になっている。間違いを犯しても、罪を犯してもそのまま居座るのである。これは、一部の人間たちによる「お友達政治」に原因があると思う。お互いに傷をなめあい、しょうがないよと慰めあい、そのまま政治の世界に居座るのである。

 

人間同士の間なら、このお互いの慰めは必要なものであろう。それがあるから、人生のやり直しもできるのである。しかし、政治の世界は違う。その一つの違いが、何万人、それ以上の生命を脅かすことになるのだ。間違えたら、責任を取るべきである。

 

コロナの政策は、結局政治は責任を負っていないのだ。これが問題なのである。「要請」しているのに、あんた達が守らなかったから、ダメだったのだというスタンスなのである。政治には国民の命がかかっているという、厳粛なる使命の認識がないのである。間違えたら自決するという昔のやり方は今の時代はだめであるとしても、少なくとも表舞台から退陣するくらいの覚悟が必要ではないか。

 

そして、その緩い認識を国民の多くがが共有してしまっているところもある。自分自身が生きる目的を失い、どうでもいいと思い、なるしかならないと思うとしたら、この社会は破滅に向かうしかない。国民が意識を取り戻し、コロナの件に留まらず、政治をきちんと見極める風土が必要ではないか。