裏金問題の処分が決まった。39人に罰を科し、これでいいでしょ、という幕引き。
問題の原因も、処分の判断基準も不明。
ただ明らかになったことは、政府とは権力闘争のツールだと言うこと。岸田氏の政敵を排除し、権力維持のために裏金問題を利用しただけなのだ。
人を責めるのはやめよう。
その人(魂)だって、少しでも成長しようと思ってこの世に来たんだから。
失敗や思い違いもある。
その罪を憎んで再度生じないようにしよう。
今人類は大きな変化の中にある。ふと思ったことを書いてみる。
人類は動物として誕生した。その時は、ただ、意思もなく、宇宙のひとこまとして存在した。意識も意思もなく存在した。神と一緒にいたということではないか。争いと言う概念もなく、ただ自然に。
しかし、大きな集団を作り生活を始めると、次第に本来の自然な状態ではうまくいかなくなってきた。暗黙に指示を出していた自然(神)の声が聞こえにくくなる。そこでその神の声を聞いたとする人間が、他の人間を支配するようになった。シャーマニズム、神聖政治である。
しかし、その神の声を聞く人間ですら、神の声を聞くことが難しくなると、神の声を文字として残し始めた。宗教の誕生である。そして、宗教を利用した支配が始まる。
この宗教による支配は、その裏で力による支配が支えていた。そして次第にその王や貴族のによる力の支配になっていく。
宗教と力による支配は、宗教の腐敗と力による特権により堕落していく。そしてこれは、命を賭けた民衆の怒りをかった。大衆こそ正しいと言う民主主義の始まりである。しかし、その民主主義も、多数と利権による支配になっていく。
これらの反省から、共産主義などの理想主義による支配が始まる。抑圧されたもの支配されたものが、理念によって多数を支配しようとしたのだ。しかし、この支配も、現実の社会をかけ離れ壊れていく。
民主主義の行き詰まりと、理想主義の破壊状態が今目の前にあるのではないか。声が大きい少数と黙った多数。
考えてみると、人類の社会は、これまでずっと誰かによって支配されるものであった。
しかし、これは、SNS等の情報拡散によって変わりつつある。多数でなくても、個人が発信できるのである。そしてこのことにより人類の学習が今進んでいる。
嫌がらせや炎上、そして分断。これを乗り越えるためには、単なる理想ではなく、動物としての本来の欲望や宿命を克服していかなければならない。仏教が言う煩悩や欲望の消滅や、心の分析や内観は、この時多くの示唆を与えてくれるのではないか。
物質と現世にこだわった力の支配から、心の世界による共生の世界へ人類は脱皮しようとしているのではないか。
今の社会の生きづらさは、人と比べるからではないか。より早くより正確に常に競争だ。考えてみると、ビジネスとは、ビジー(忙しい)が原点だ。でも、働くとはそうではない。他を楽にする。決して競争ではないのだ。
競争すると、どうしても他人が気になる。比べてしまうのだ。そうではない。共生なのだ。その根本は、自分がどう役に立つかである。ここには競争の概念はない。自分がどう向上したかが根本にある。
この世に生まれてきた自分が、どれだけ人に優しい気持ちで、力強く生きられるか、これがこのように生まれ落ちた僕らの使命ではないか。
コンピュータは欠かせないものとなった。
街で目にするポスター、広告、チラシ、新聞や雑誌、手紙までコンピュータでデザインされている。より綺麗に、鮮やかに、そしてスピーディーに。
しかし、僕は、このコンピューターの時代の次で来るもの感じました。それは、妻が色鉛筆とマジックで描いた、コーラスへの勧誘のポスターを見た時。コンピューターで作れないので恥ずかしい、と言いながら持ってきたそのポスターには、コンピュータでは味わえないものがありました。
コーラスに対する思いとか、メンバーへの優しさとか、コンピュータでは表現できないものを感じたのです。コンピュータには表現できないもの、それは、心の叫びとか、楽しさとか、生きるエネルギー。所詮、データの集積では出せないもの。
自分の頭で考えよう。体で感じたことを信じよう。手足を動かしてやって、その結果を見てみよう。
しょうがないとか、こう考えちゃいけないとか、否定するのはやめ。
親や先輩や世の中に言われて、それを習ってもいい。でも、疑問があったら、自信を持って、自分で考えよう。自分を認め、体を動かして、確認しよう。
だって、僕達は体を持っているんだもの。感じる心を持っているんだもの。
決められたレールで進むだけでは息苦しい。
だって、僕達は体を持っているんだもの。感じる心を持っているんだもの。
僕達は、体や心を使って何でもやってみな、と言われてこの世に生まれたんだ。
ちゃんと使わなきゃ。
思いっきり動かしてみなけりゃ。
ジャニーズ問題、市川猿之助自殺未遂、いずれも権力を持つ者が横暴になり、弱いものをいじめると言うことである。簡単に言えば、「俺の言うことを聞かなければ、お前は生きていけない、」と言うことなのだ。
しかし、実は、同じことが政治の中にもある。純粋な気持ちで政界に入ったとしても、仕組みを握る派閥の長に逆らうことはできないのである。それから、選挙を取り仕切る外部団体、例えば、宗教団体や統一教会など、これにも逆らえないのである。
つまり、今の政治問題、社会問題は、理念や理論ではなく、この権力構造そのものの問題なのだ。これについては、与党も野党もない。
そして、現在の与党野党の中にも、これではいけないと案ずる若手がいると信じる。でも、内部からの告発は難しい。今回のジャニーズ問題が明るみに出たのもBBCや海外特派員の記者会見がきっかけだった。
それでもいずれ必ず変化する。天の意志だから。